東日本大震災
2011年3月11日、当時私は東京の防衛省陸上幕僚監部において日米協力を担当する幕僚として勤務していました。
余りの被害の大きさに米軍を含めて全力を尽くして救難活動をすることになりました。私は作戦幕僚として仙台などにおいてトモダチ作戦を立ち上げ、米軍とともに日々救難計画を立案しました。発災から約1か月後、今度は隊長として福島に行かせていただき、福島第1原発付近の立ち入り禁止区域において捜索救難活動に従事しました。
トモダチ作戦立案
あたりまえですが、発災後1か月以上文字通り不眠不休。立って寝てました。日々の作戦や長期計画を立案し上司に説明し承認を受けている場面です。
震災最前線
発災から約1か月後、今度は偵察隊長として福島において初夏まで捜索救難活動をさせていただきました。常に原発の水蒸気爆発などに注意しながらの活動でした。
イラクの復興支援
2005年1月から7月までイラクで活動しました。幕僚として現地の養護施設や福祉施設、子供たちのためのスポーツ施設などの修復を担当しました。毎日宿営地外で現地の人と調整し、調査したうえで企画・計画。文字通り大汗をかきながら働きました。いつかイラク・サマワを再び訪れてみたいと思っています。
現地の方々の自衛隊支援デモ
サマワからの自衛隊撤収の噂が流れると、自衛隊支援デモが行われました。左が私です。
養護施設
現地養護施設の修復を担当しました。女性の所長さんと調整中です。
外国との協力推進
2005年1月から7月までイラクで活動しました。幕僚として現地の養護施設や福祉施設、子供たちのためのスポーツ施設などの修復を担当しました。毎日宿営地外で現地の人と調整し、調査したうえで企画・計画。文字通り大汗をかきながら働きました。いつかイラク・サマワを再び訪れてみたいと思っています。
日米会議
ハワイでの会議です。南西地域防衛のための協力やアジア太平洋地域における大規模災害対処のための協力を推進してきました。
日米韓三か国会議
幕僚として日米韓及び日米豪それぞれの3か国協力のスキームを立ち上げました。
米国から叙勲
米国政府よりThe Meritorious Service Medalをいただきました。