・私の政治的な姿勢は保守現実主義といえるものです。「保守」と一言で言っても様々な定義があり、また政治学的にはいろいろな分野でいろいろな意味を持たされているため、その中身を一言で具体的な表現することは難しいのですが、今まで私が防衛省・自衛隊での勤務において常に考えていたことは、「国民、領土・領海・領空、主権、自由民主主義という体制、伝統、文化を保ち守っていく。それも現実的な対応をもって守っていく」というものです。一歩進めて、私が目指す保守主義は、18世紀の英国の保守政治家エドマンド・バーク(1729-97年)の主義である①具体的な制度や慣習を保守し、②そのような制度や慣習が歴史のなかで培われたものであることを重視するものであり、さらに、③自由を維持することを大切にし、④民主化を前提にしつつ、秩序ある斬新的改革を目指すというものです。その時々の状況に応じて多くの改革、変革を行ってきた歴史を有する日本。この改革、変革を行っていくことも日本の伝統・文化の一部であると考えます。
・そういった意味においても、単に過去に価値を見出す思考がすべて保守主義と呼ばれるべきではないと考えます。知識社会学者カール・マインハイムがいう、変化一般に対する嫌悪や反発としての「伝統主義」(宇野重規「保守主義とは何か」中公新書 2016年 p156)と本来の保守主義とは明確に区別されるべきと思います。一時一世を風靡した森友学園でも見られましたが、最近の日本ではよくよく考えずに戦中戦前に回帰する伝統主義者が多くなっているのではないでしょうか。自衛隊において命を懸けてでも任務を遂行することを宣誓した私にとって、自らの身を安全圏におきつつ軍国主義への回帰に傾倒するものは軽蔑の対象です。因みに私は戦中戦前の全て否定しているわけではありません。閣僚として戦争を指導した軍人や在満邦人を見捨てて逃げたとされる関東軍などの一部軍人は万死に値すると思いますが、硫黄島で戦死された栗林大将などをはじめとして国というコミュニティのために自らの尊い命を懸けられた軍人は尊敬の対象です。