解散の大義は?

 9月25日内閣総理大臣の解散表明

・本日9月25日、内閣総理大臣は9月28日臨時国会冒頭解散を表明しました。その解散の理由について「消費税の使い道」、「北朝鮮への対応」について信を問う旨説明されました。確かに解散権は内閣総理大臣の専管事項であり権利です。野党は本来いつでも政権をとれるように準備しておくべきですので、解散総選挙を喜んで戦うべきでしょう。

・しかし、すっきりしないのは首相が解散権までも私的に利用しているのではないか、との疑念が払しょくできないことです。そもそも、首相が解散権を行使できる根拠は第69条の内閣不信任案に対する解散及び第7条の天皇陛下の国事行為(重大な政治的課題が生じた場合)ですが、与野党が鋭く対立して政治的コストをかけても直接国民に信を問う事があることが前提です。決して特定の政権を延命させるために行使するといった趣旨のものではありません。「消費税の使い道」と「北朝鮮への対応」、果たして与野党が内閣不信任案のやり取りをするほど鋭く対立するような課題でしょうか。両課題とも多少の修正はあるとしても野党が是が非でも反対しているといった問題ではありません。特に消費税などは臨時国会でじっくり議論すべき課題であり、北朝鮮への対応は米韓などと連携し淡々と実行していくべき課題です。むしろ国会において政府与党は先に成立した安保法制の有用性について説明するよい機会となるはずです。

・今回の解散表明、野党に属する私は喜んで受けて立ちますが、その解散表明の動機については政権の私的利用の疑念が拭えず批判せざるを得ません。

・因みに先進民主主義国において、首相に無制限の解散権を認めている国はほとんどありません。公正な権力の行使は先進民主主義国の前提です。日本はいつまでも村政治の政治3流のままなのでしょうか。大マスコミの政治部の記事などには「解散については首相のウソが許される」「勝てるときに解散を打つのは当然」との記事を目にすることがありますが、それは「永田町の常識」にすぎません。永田町の常識が国民の常識と倫理的に乖離しているのであれば国民の常識に合わせるべきです。永田町と国民が乖離している限りこの国の政治が世界的に1流となる日は遠いと思います。
この政治文化、変えたいです。